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同じチケットをたくさん買うオタク

おはようございます

私にとっては当たり前にしていたことが、一般的に考えると驚かれ時には怖がられる行動だったという事が多々あります。
オタクってジャンル問わずコミュニティー外から見ると奇怪な行動をしているのだと改めて感じさせられますね

その中の1つが
【複数枚チケットを買うこと】

この複数枚のチケットは、
・多ステをする
・席を選ぶ
そういった意味ではありません。
同じ公演、ライブのチケットを文字通り複数枚買うことです。

私が応援する俳優は、若手俳優の中でもあまり人気のない小さな劇場に立つことが多かった。
さらに個人のイベントになると、常に同じ顔ぶれで会場の椅子に対して半分以下の人数しか居ない事もある。
素人目にファンが見ても利益が多くあるようには見えず、赤字の心配さえする程だった。

そんな現場を見るうちに
『会場を埋めないといけない』
誰に頼まれたわけでもなく謎の責任感に動かされていた

明らかに定員に達することのない推しのイベントのチケットを、最初は誰かを誘えばいいやと2枚、3枚…
ライブのようなイベントの時には、座席が自由ならバレないだろうと10枚は購入をした。

暇そうな友人を誘うこともしましたが、誘える友達も少ないので最終的にはもぎられることもなく、ただの紙になったチケットもたくさんある。

大抵は、譲渡先を定価以下で探した。
定価で売れるのであれば運営から買う人がほとんどで、定価以下であればと興味を示す人は少ない。
ほとんどタダ同然の時も少なくない。私の出したチケット代で会場に行き、当日に物販の1つでも買ってくれている事を願っている。

そして、売れた分でまたチケットを買う。
こうすれば、運営の儲けが増えるという単純な考えだった。

もちろん推し本人はこんなことを知ることもなく
「今度のイベント埋まりそう?」
という私の問いに
「東京はまずまずだけど、大阪はヤバイんだよねー」
と返事をくれる。また謎の責任感は仕事をしてしまう。

自己満足でも、
少しでも推しにお金が入るのなら…
次の仕事に繋がるのなら…
そう思うと、何枚ものチケットを購入せずにはいられない。

もしかすると、同じ界隈でも私だけの行動かもしれない。それでも推しの為になると信じチケットを買う。
もし、大量のチケットを配る友達やオタクがいたら優しくしてもらえると嬉しいです。

さようなら、を言える日

私は、俗に言う若手俳優のオタクです。
それも定期的に話題にあがる地方在住。
正直な話、日帰りが出来なかろうが移動が新幹線だろうが通うことは出来るしお金が無ければ稼げばいいと思う。
書きたいことがズレそうなので、この事は気が向いたらまた書きたい。
 
私の追いかけている俳優は、所謂テニミュ出身の若手俳優。テニスに出ていた時こそそれなりの人気はあったけれど、今となっては現場で見かけるのは毎回同じ顔で、特別に人気なこともなく話題の作品にもあまり出ない。
イケメンかと言われれば個性派かもしれない。
それでも私は彼が大好きで、生活も何かも彼の現場に行く、会うことが全てで中心だった。

最初は学生だった。
地方学生の行動なんてたかが知れている。けれど、できる限りのことはした。
学校があると全通はできなかった。せめて公演数の半分、3分の2、地方公演があれば全地方…時間の許す限り飛び回った。
もちろんお金はすぐに飛んでいく。
夜の仕事もした。お世辞にも美人とは言えず可愛げもない根暗な私には苦痛でしかなかった。けれど、それに耐えれば彼に会える。
彼の好きなブランドを買ってプレゼントしたい……その一心で頑張っていた。
彼に会いたい、覚えて欲しい、帰りのバスの時間ギリギリまで待った。夜行バスに乗り遅れて朝まで途方にくれたりもした。
数枚しかない当日券の為に、公演まで待てなくて稽古場の前で待つ為だけに、東京まで行った。冷静に考えれば頭がおかしいとしか言えないけれど、その時の私は真剣でその為に生きていた。

でも、それは長くも続けられなかった。
体調を崩して精神的にも辛くなって、学校にも仕事にも行けなくなった。
学校を辞めた。
夜の仕事も体調を崩した事をきっかけに辞めることにした。それでも私の中で彼が中心なことは変わらなかった。
いくつも職場を掛け持ちして働いた。
学校がなければ好きなように休みが決められた。お金が足りないことは変わらなかったけれど、休みが自由なおかげで全通もできた。
仕事にやりがいもなく、学校を辞めてから精神的に辛くて死にたいと思うような日もあった。それでも彼の現場にいく、彼に会う。ただそれだけで人並み以上に頑張る事ができた。

彼は共演者や他の俳優のファンからも優しい。と言われるような人だ。私もそう思う。
贈ったプレゼントは服でも小物でも可能な限りは着て写真を撮って、時にはパンフレットや劇中の衣装にも使ってくれた。
必ず帰り道の心配をしてくれて、十分すぎるほど「ありがとう」と言ってくれる。
 手紙だって渡したらすぐに読んでくれていた。前方に座れば最前じゃなくても、見つけて目線をくれる。
もちろん、ストレート、ミュージカルと出演する度に役をものにして、演技は年々成長していた。贔屓目はあるけれど、役者としても文句はない。
 
 
けれど、じわじわと感じるようになっていた。
疲れた、しんどい。 
別に何か嫌なことがあったわけでは無い。
現場に行っても彼に会っても疲れは取れない。現場に向かうことを面倒に思うようになっていた。

友人たちは「行くところまで行って進展もない。それだけ一途に追いかければ、そういう時期もやって来る。」口を揃えてそう言った。
確かに繋がりやファンと俳優以上を求めていない私にとって、これ以上の進展はない。
そんなの分かりきっていたのに
疲れることもしんどいことも理由がわからないまま、現場に通い続ける。
彼はそんな私の気持ちに手紙の内容からか、表情からか、「大丈夫?」と聞くことが多くなった。
私は彼に心配される事が大嫌いだ。 

そういえば、少し前に話の流れから学校を辞めていたことを彼に伝えた。優しい彼は驚いて、何度も謝った。
私がしてきたことは誰かに謝られる事だと初めて知った。きっと真面目な彼は、学校を辞めたこと仕事のこと、私の人生を変えてしまったように感じたんだと思う。
私は、自分の身の上はあまり話さないでいたし彼を追いかける為に生きてきたから、謝られた意味もあまり分からなかった。
ただ、いつものように「ありがとう」と言って欲しかった気がした。
 
そんな時だった。
私は久しぶりに他の役者を好きだと感じた。それは数年前に彼が演じた役を演じる人だった。
同じ格好で同じ台詞を言っているから、きっと前回の公演で同じ役を演じた彼を勉強してきたから、重なって見えるだけだ…言い訳はたくさんできた。
いろんな思いでぐるぐると胸がいっぱいになった。
けれど舞台には私の好きになる彼がいた。
新鮮だった、声をかければ当たり前ではない返事が返ってくる。私は知らない人だった。
誰にでも言う常套句なのはわかっている
「ありがとう」と言われた。
 
私は初めて、観劇する予定だった彼の出る舞台のチケットを売り払った。
ついにサヨナラと言う日が来たのかもしれない。
新しく好きになる彼へのプレゼントを買いにいった。私が買ったのはいつもの彼へのプレゼントだった。
そろそろ長袖の稽古着が必要じゃないだろうか…私はこれを渡す為にきっと最後の1枚のチケットで会いに行く。
 
 
さようなら、は言えるだろうか